『開業医から見た産科医療補償制度』




                        

                                                            平成21年1月5日

                                                             岩国市 八木 謙

産科医療補償制度開始
 本年1月から産科医療補償制度がスタートした。出産一時金が3万円上乗せされ、その分を医療機関が保険会社に保険金として納入する。該当患者へは計3000万円の補償金が支払われる。医療機関は当補償制度内に設置された調査機関より事故原因分析調査を受ける。なお医療機関のこの制度への加入は任意である。

 利点は3つ上げられる。①患者側にとっては訴訟手続き無しで自動的に補償金が給付されること、②医師側にとっては訴訟が激減すること、③厚生労働省側にとっては産科医療を自省の監視下に置くことが出来るようになること。

 さて①の患者側への利点については問題ないであろう。そして、③産科医療を厚生労働省の監視下に置くことが出来るは確かであろう。だが、②医師側にとっては"訴訟が激減する"は確かであろうか?

これが紛争の終点となる確約がない
 アメリカでは無過失補償を貰えば訴訟はできないし、訴訟をするなら無過失補償は貰えない。どちらを選択するかは患者の自由である。ニュージーランドでは医療過誤は法律で、決まった額の補償を受け訴訟は出来ない。日本においてニュージーランド形式を採用するのは法的に無理がある。しかしアメリカ形式は今の日本の現行法で可能である。ところがある日本の法律家が補償金を貰うかわりに裁判を受けさせないというのは訟権に侵害にあたるという解釈をした為、今回の産科医療補償制度では補償金は貰え、克つ訟権を残すという形式になった。法の認識不足である。これでは紛争の終点になっていない。アメリカ形式を採用しなくてはこの制度の意味を成さない。
 厚生労働省傘下の調査委員会が事故調査を行い、その調査結果を患者側に公開することになっている。なるほど調査委員会の医学的判定が医師の過失無しの場合なら、補償金は貰い、かつ、過失も無さそうだからとし、あえて訴訟はおこそうとしないだろう。だがこのような症例は紛争になっても医師が勝訴しているはずのものである。問題は調査委員会の判定が過失あり、又は過失の可能性も考えられるとの判定を下したとき、補償金を受けた後でもその調査結果が紛争を誘発する可能性が出てくる。これらが証拠をして採用されるとき医師は極めて不利な立場に立たされることになる。
 結局、紛争を防止できそうな事例は極少なく、逆に紛争を誘発する事例が多く出てくるのではないかと危惧するのである。

実質的に強制加入になった
 昨年11月5日、厚生労働省は産科医療補償制度未加入なら出産一時金据え置きという決定をした。未加入医療機関で出産した場合38万円でなく35万円しか出さないということである。この制度への医療機関の加入は任意であるのは建前にとなり、開業医はこれに加入せずにはいかなくなった。加入すれば事故調査委員会の調査は強制である。今後の訴訟は手持ちのカードがすべて公表された状態での戦いとなる。

強制調査を拒否することはできるか
 憲法38条「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」、医師であろうとこの法に護られている。この法を楯に厚生労働省からの調査を拒否することは出来る。しかしそうする為にはこの制度から脱会しなくてはならない。また約款により調査を拒否した場合は強制的に脱会させられることになっている。脱会してもまで事故調査委員会の調査を拒むべきだろうか。
 我を張らないで、お上を信じてお上の裁定に身を任せなさい。信じて付いて来た者達に悪い目は見させません。そう説き伏せられて、信じて付いて行っていいのかどうか・・・
宗教家は信じることから始まり、哲学者は疑うことから始まる。

厚生労働省と開業医の利害は一致しているか
 "事故が起こったとき、看護師に内診させていたことがバレたら罰せられるのでしょうか"という開業医のこの恐れは未だ払拭されていない。厚生労働省医政局看護課長通知は撤回されていないのである。ここには助産師も雇えないような弱小一人開業医は統合され集約化すればいいという本音が見え隠れしている。この本音があるかぎり、事故が起こったとき開業医は厚生労働省から粗探しされるのは目に見えている。この機会に潰れてくれればこれ幸いであると。

ではどうすればいいか
 多分、多分である、自分の患者が35万円しか支給されなくても、この制度外で頑張るべきであろう。またこの制度内で仕事をする場合でもこれを信じきってはいけない。最終的には訴訟の可能性を考えて日医の保険の1億及び損保ジャパンの1億を合わせた計2億の保険を確保していなくてはならない。更にこの訴訟で言う事故発生日はその分娩があった日ではないことを認識していなくてはならない。患者が損害賠償を請求した日が事故発生日となるのである。その損害賠償請求があった時点で保険に入っていなくては保険は利かない。自分がお産を止めても過去のことを考慮し、保険加入を続けて行く必要がある。

 開業医から見た産科医療補償制度というタイトルで原稿依頼を受け、更に執筆中に制度未加入なら出産一時金据え置きという厚生労働省の決定を見て、いささか被害妄想的な思考になった。本当は私の予想が当たらなければと願っている。






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