医師の守秘義務は個人情報保護法に優先する

八木クリニック院長 八木 謙


    平成15年、国会において「個人情報の保護に関する法律」いわゆる「個人情報保護法」が成立し、平成17年4月1日付けで施行された。医師もこの「個人情報保護法」を守らなくてはならないとして、厚生労働省からは「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン」(平成16年)、及び「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドラインに関するQ&A」(平成17年3月作成平成25年4月1日改訂)が出され、社団法人日本病院会の個人情報保護に関する委員会からは「病院における個人情報保護法への対応の手引き」(平成17年)が提示されている。これらに丁寧に医師の「個人情報保護法」に対する注意事項運用方法が掲載されている。これらを読んで疑問に感じるのはここに書かれている事はすべて医師の守秘義務で網羅されているのではないかという事である。守秘義務を課せられている医師にとって個人情報保護法に注意を払うのは意味のない事ではないか。いや意味のないというより個人情報保護法にばかりに気を取られ情報保護法をクリアしたから大丈夫だと思い込み守秘義務を蔑ろにするような事があれば本末転倒と言う事態が起きるのではないかと危惧するのである。
    少しく個人情報保護法と医師の守秘義務の関係について見てみよう。個人情報保護法と守秘義務は同義語か。違う、別々のものである。違いをちょっと挙げてみる。①医師の守秘義務は刑法上にある。個人情報保護法よりも上位法である。医師や弁護士の守秘義務は刑法上に在るため警察官や市職員の守秘義務よりも上位である。②情報保護法は個人情報取り扱い事業者にのみ適用される。個人情報取り扱い事業者とは過去半年間に5千件以上の個人情報を取り扱った事業者をいう。医師の中にはこれに該当しない人もいる。紙カルテなら保存義務の5年経てば処分するだろう。電子カルテで10年20年と使っていれば5千件行くかもしれないがこれも5年間来てない人の分は削除すればいい。個人開業医なら個人情報取り扱い事業者に入らない人は多いのではなかろうか。私も個人情報取り扱い事業者ではない。だが守秘義務は医師ならどんなに小さな規模の開業医でも守らなくてはならない。③更に量刑が違う。刑法上の医師の守秘義務違反は六月以下の懲役又は十万円以下の罰金となっている。一方個人情報保護法の方はこの法を守っていない場合、この法を守るように勧告が出される。それでもでも改めないと勧告に従うように命令が出される。そしてこの命令に違反すると、六月以下の懲役又は三十万円以下の罰金が科される。このように3段階になっているのだから、うっかり法を踏み外したとしてもまず勧告があるのだ。その時点で改めれば問題は起こらない。命令が出されてからでもまだ間に合う。しかし医師の守秘義務違反は1例であっても該当すると裁定されれば刑罰が下る。
    これに対し医師の守秘義務と個人情報保護法では守るべき項目が違うのだとする考え方もある。つまり医師の守秘義務は患者の症状診断治療内容を漏らしてはならないのに対して個人情報保護法で守るのは住所電話番号生年月日といった個人の情報なのであるとする考え方である。しかしそうであろうか。こんな例を考えてみよう。妻が夫には知られたくないとして産婦人科を受診する。後日夫が来院し「先月妻が受診したか教えて下さい。診断名、治療内容は聞きません」医師がこれに答える。家に帰り夫は「お前は先月何の用で産婦人科を受診したんだ」と問い質す。これはもう医師の守秘義務違反である。A氏が岩国錦帯橋空港を訪れた。空港職員がA氏を見たと証言した。これはA氏の個人情報を漏らしたことにならない。個人情報保護法違反にはならないが守秘義務違反になることは医師の場合には起こりうる。
    医師の守秘義務は患者の個人情報全体をもを含むものであると理解されるなら医師は個人情報保護法の事は考えずにただ守秘義務を守っていればいいのではないか。この仮説が正しいか否か以下検証して行きたい。
    妻が夫に秘匿したいと言った場合の事は前述した。では子供が親に内緒にと言ってきた場合はどう対処すべきであろうか。
個人情報法保護法はどう扱うか
    「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン」及び「Q&A」から以下抜粋する。
    各論Q5-3 未成年の患者から、妊娠、薬物の乱用、自殺未遂等に関して親に秘密にしてほしい旨の依頼があった場合、医師は親に説明してはいけないのですか。逆に、親から問われた場合に、未成年の患者との信頼関係を重視して、親に情報を告げないことは可能ですか。 
    という問いに対して回答は
    
A5-3 患者本人が、家族等へ病状等の説明をしないよう求められた場合であっても、医師が、本人又は家族等の生命、身体又は財産の保護のために必要であると判断する場合であれば、(第三者である)家族等へ説明することは可能です(個人情報保護法第23条第1項第2号に該当)
    つまり個人情報保護法では本人が家族へ説明をしないように求めた場合でも医師の判断により家族へ伝えることは出来るとしている。
A5-3は続いてこう述べている。
    
一方で、未成年だから何でも親が代理できるわけでもありません。親が、法定代理人だといって子供の個人情報の開示を求めてきても、開示についての代理権が与ええられているか、本人(子供)に確認する必要があります(参照:ガイドラインp31)
ここではこうした条件が揃わない場合は家族へ伝えることは出来ないということになる。
個人情報保護法第23条1、2項とガイドラインp31を以下に示す。
    
個人情報保護法第23条:個人情報取り扱い事業者は、次に揚げる場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第3者に提供してはならない。
1 法令に基づく場合
2 人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
    ガイドラインp31
    法定代理人等、開示の求めを行い得る者から開示の求めがあった場合、原則として患者・利用者本人に対し保有個人データの開示を行う旨の説明を行った後、法定代理人等に対して開示を行うものとする。

    結局、個人情報保護法では未成年の場合、親に告げるか否かを決めるのは医師の裁量権内である、医師が判断すればよいということになりそうだ。
    次に医師の守秘義務の視点からこの問題をみてみる。
医師の守秘義務はこの問題をどう扱うか。
漏らされた情報は個人の財産であり、守秘義務違反は知的財産の侵害にあたるのだろうか。
    ヒトの3つの自然権①生命②自由③財産のうち③財産ではなく②自由の侵害にあたると考えられる。医師の守秘義務は患者の自己決定権を守るものである。黙っていてくれという本人の意思を無視して他者にそれを告げるのは自分が告げていいという判断を下していないのにそれを行なわれたという自己決定権の侵害なのだ。
    秘密告知の自己決定権の前に治療における患者の自己決定権について考えてみる。
    親が子供を医者に連れて行く。子供は注射は嫌だと泣き叫ぶ。かまわず捕まえて注射する。これは本人の自己決定権を侵害している。いや、この場合その決定権は親が持つ。子供には自己決定権は与えられていない。保護下にあるからである。
    もう1つ私有財産について考えてみる。生まれたばかりの赤ん坊は何も財産を持っていない。しかしこの赤ん坊に父親が1億円与えたとしたら、この赤ん坊は1億円の所有者である。両親が死んで親戚の者が赤ん坊の保護者となってもこの1億円はその保護者の勝手には出来ない。その子の育児教育には使えるが保護者の借金の返済には使えない。その子が成人したらその子の判断で使うことになる。
  では次に自己決定権について考えてみる。前述のように財産の処理の決定権は赤ん坊本人にあると言えるが、赤ん坊が病気になったとき保護者が医療機関に連れて行き、治療を受けるか否かの自己決定権は誰が持つか。これも私有財産と同様に自己決定権は赤ん坊が持つと考えるべきであろう。ただ赤ん坊には自己決定能力がない。その場合保護者という代理人が赤ん坊の自己決定を代行する。注射は嫌だと泣き叫ぶ子が注射を打たれるのもその子に自己決定能力がないと看做され保護者が自己決定を代行していると考えられる。保護者は保護者自身が自己決定権を持つのではなく、子供、赤ん坊の代行であるから子供、赤ん坊の不利になる決定は行う事が出来ない。養子として育てている子の腎臓を自分自身の子に移植するなどという決定は出来ないのだ。自己決定権の主体は赤ん坊が持つ。このとき赤ん坊は客体でなく主体である。赤ん坊が代理人を使って自己決定権を行使している。比較する為にペットのネコの不妊手術を引き合いに出してみよう。飼い主がネコを獣医さんのところへ連れて行き手術を受けさせる。このとき飼い主が主体でネコは客体、獣医は手段である。ここが人間の赤ん坊と異なる点である。
    子供だけでなく、成人であっても自己決定能力を持たないと判断されたとき治療を受けるかの自己決定は代理人が行う。しかし代理人はその人の財産を自由にすることは出来ない。選挙権は病人であっても選挙管理委員会が病院に出向いて被選挙人の名前なり写真なりを指示したことが確認出来ればこれは1票となる。しかし自己決定能力を持たなくなった人の選挙権を保護者が代理に投票する事はできない。整理すると以下のようになる。治療を受けるか否かの決定権は保護者に移行する。選挙権は保護者に移行しない。財産権は自己判断能力がなくとも本人にある。
    輸血を拒否する宗教がある。拒否しているのを医師が知りながら患者が意識不明になった状態で輸血を行えば、それで命が助かったとしても医師は訴えられ裁判例では負けている。これは自己決定権の侵害なのだ。同様に子供に輸血が必要なとき親が宗教上の理由で輸血を拒否すれば出来ない事になる。これは親が子供本人の自己決定権を代行していると看做されるからである。しかしもし子供が自己決定権を親に託していないと表明した場合、「ぼくはお父さんの宗教には入らない。手術を受ける、輸血を受ける、ぼくは生きたい」と意思表示したなら本来の自己決定権を持つ自己の決定と見る事が出来、親の訴えを無視していいのだろう。
    14歳の女の子が妊娠して来た。親が中絶しなさいと言っても本人が産むといえば中絶する事は出来ない。反対に親が宗教上の理由で中絶は許さない産みなさいと言っても、本人が中絶すると言えばそのようになる。母体保護法には妊娠した本人およびその配偶者しか決定権が与えられていないのだ。未婚者ならその女性本人だけの決定ということになる。母体保護法は妊娠した女性のその親の介入を認めていない。
    では秘匿に関する自己決定権はどうなるか。これも治療に関する自己決定権と同様本人自身にある。しかし自己決定能力がないと看做される時、保護者に移行する。保護者が他人には知られたくない、学校へも知られたくないと言えばそれは守らなくてはならない。子供独りで受診に来た場合、そこでは本人と医師との間に診療契約が結ばれたとみなくてはならない。診療契約には守秘義務も含まれる。
    さてここでもう1つ重要な問題がある。医師の守秘義務が阻却される場合です。①犯罪による傷害を診たとき②法定伝染病を診たとき③児童虐待の疑いを持ったとき等です(13歳未満の女子への性行為は本人の同意の上でも犯罪である)。これらは通報しても構わないのではなく通報しなくてはならない。このときは本人及び代理人が黙っていてくれと頼んでもそうはいかない。このとき守秘義務より通報義務が優先する。秘密に関する自己決定権は消失している。誰かに移行したのではない。医師に決定権が移行したのではないから報告するしないは医師の裁量下にあるのではない。
    まあ、この件に関しては個人情報法保護法も医師の守秘義務も同じような事を主張している訳です。守秘義務の方がより厳しい気がする。他の項目も同じようなものだ。

患者の期待権?
    ここで権利とは何かについて考えてみたい。17世紀にジョン・ロックは「人間は生まれながらにして3つの権利を持つと言った。その3つとは①生命、②自由、③財産である。これは国家ができる前の自然状態にすでにあった(社会契約説)。このロックの「私有財産の発見」で民主主義も資本主義も確立した。国家、社会がなくとも私有権はある。ロックから1世紀半がすぎてアメリカ独立宣言がなされた。独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンはロックに傾倒していたのだが、独立宣言には「生命、自由および幸福の追求」こそ「「天賦の諸権利」であるとは書いた。ジェファーソンが書いた「幸福追求の権利」というのはロックの言っていた私有財産権のことである。なぜジェファーソンはそこだけロックの表現どおりに書かなかったのかといえば、「私有財産の権利」と書くと独立後、だれもが裕福になることが保障されると思われると困るからである。裕福になる為に働くことで「幸福追求の権利」を得ると言い換えた。アメリカ人は、貧乏なのはその人は幸福追求の努力を怠っているからであって、それは個人の責任であるとした。今でも自分や自分の家族の命を守る為自分自身で銃を持つ。日本の憲法13条はこのアメリカ独立宣言の文章を踏襲した(小室直樹著「日本国憲法の問題点」P32)。憲法13条は「生命、自由および幸福の追求」となっている。これ以降は私の考えだが、この憲法の幸福の追求が日本では「患者の期待権の侵害」という考えに発展して行った。患者が期待していたように疾患が治癒しなかった。その場合、医師は患者の期待権を侵害した加害者である。
    アメリカでは裕福になりたいと期待しても、それは自分で努力しなさいと言うことだ。そこで出た幸福の追求権、この表現を日本では期待すれば願いは叶うはずだととってしまった。これは本来意味する用語の誤った解釈なのだ。憲法はそんな事は保証していない。そうした誤解を解く為にも今度憲法を改正するときは元々のロックの表現に書き換えなくてはならない。憲法で護るのは①生命、②自由、③財産であると。

患者の自己決定権
    医師が行ってならないのは患者の期待権の侵害ではなく、患者の自己決定権の侵害である。
患者の自己決定権は2種ある。
① 医療に関する自己決定権
自分が当該医療を受けるか否かを自分で決めるという自己決定権
② 秘密に関する自己決定権
自分の秘密を他者に伝えることを承諾するか否かを自分で決めるという自己決定権

    医療(検査も含む)を行うときは患者の同意をとる。患者の秘密を他者に伝えるときも患者の同意をとる。この2つは今まで当然としてやってきたことではないか。その上で自己決定権の消失又は移動をしっかり見極めればいいのである。極めてシンプルな問題なのだ。個人情報保護法を持ち出すまでもない。
    弁護士達が個人情報保護法が制定されたからといってなにか行う事が変わったか。変わってないだろう。顧客の秘密は始めから確固として守られているからだ。医師も同様である。






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